2022 7/18~7/24 モチベに頼らず、何かを継続するには…

先週は、世界三大コンクールの1つ、ショパン国際ピアノコンクールで
日本人歴代最高位タイの2位を受賞した反田恭平さんのコンサートに
感銘を受けたわけですが、今週は、反田恭平さんのエッセイをある程度読んだ
辺りの感想やら、物事を継続するための心構え等を考えていたので、
そういったことを書き記しておきたい。

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モチベを理由にして、新しいことを始めたり止めたり。

新年の始まりの目標を立てる時には、「今年は〇〇をしよう」
といったモチベーションが高まっている訳だけれども、
そのモチベーションが維持されたまま、1年を過ごしたことはあるだろうか?
いや、多くの人はゴールデンウィーク辺りで力尽きるのではないだろうか?
結構主観が入ってしまっているけれど、「1年何もしてない…」という
感想を抱く人が多いことを考えると、きっとそうなのかもしれない。

別に新しいことに限った話でもなく、「やらなければいけないこと」
に対して、モチベーションが高いから出来る、とか、
モチベーションが低いからやる気が出ない…、とか、
モチベーションに頼って物事に取り組んでいると、
明らかに仕上がるまでの時間にムラがあり、効率が悪いことの方が多い。

更に言うと、モチベーションに頼った生活をしていると、
モチベーションを理由に、逃げる選択肢が増えてしまう。

「今日はモチベーションが上がらないから、やらない。」
この選択肢があるだけで、楽をする選択を選びがちになってしまう。
「今日はモチベーションがあるから、頑張る。」ということは、
滅多に来ないので、なかなか努力することは珍しいのだが、
たまに頑張ったことを誇張して、成果が出ないことを嘆くのは、
あまりにも虚しいし、空虚な人間性が現れるようである。
言ってしまえば、ヘリウムガスが入った風船みたいな。
中身も無ければ、軽い。みたいな。そんな感じがする。

世界で活躍出来るような人たちが、そんな空虚な訳はないでしょう。
一見風船くらいの大きさに見える人間性かもしれないけれど、
その人の中にある努力の質量は、一般の人々の想像を遥かに超えるもののはずだ。
言ってしまえば、世界で活躍出来る人たちの努力の質量は、
ブラックホールの質量のように、凝縮されていて、
想像がつかない領域になっているのかもしれない。

そんなことを感じ取れる1フレーズが、

誰がどこで聞いているか分からない。
どんなに小さなコンサートであろうが、2000人が入る大ホールの
コンサートであろうが、絶対に手を抜いてはならない。

反田恭平  『終止符のない人生』 より

この、反田恭平さん自身がモットーにしているという言葉だ。
いつ、いかなる場合であっても、最善を尽くそうと心がける
このモットーに、その人の努力に対する姿勢が伺える。
この姿勢の中には、一切、「モチベーション」は入りこんでいない。

世界で活躍するわけではないかもしれないけれど、
新しいことや、初めてのことを継続したいと思う人は多くいるはずで、
ただその一方で、継続することが出来ない人もいるのは確かなようで。

果たして、一般人に、「モチベーション」に頼らず、
「いつ、いかなる場合でも最善を尽くす」
そんな領域に踏み込むことは出来るのだろうか。
別の観点からも考察を深めていこう。

古武術(古武道)に学ぶマインドセット

これは、自分がどうでもいいと思っているテレビがタレ流しになっているのを、
横目に見ていた時のこと。その番組は『ニノさん』で、
まさに、先週の7/17日に放送していた内容である。

その内容では、「古武術の達人」が紹介されており、
その時紹介されていた方は、古武術歴30年の永野柔心さん。
様々な流派を渡り歩き独自の柔剣雷心会を立ち上げたとのこと。
永野柔心さんは、古武術とは、
「なにかやろうとする意識を消す。やらないでやる。」
ことが極致であると述べていた。

また、柔剣雷心会のホームページでは、
古武道・古武術における型稽古は、
単なる手順を追う動作でも実戦の模擬ではなく、
そこには何を学ぶかが明確にテーマがあり、
それは段階(レベル)に応じて一人一人が自ら意識し、
取り組んでいかなければいけないものである。

そして出来る事は出来たことは捨てて次の段階にトライし続けるものです。
(出来たと思ったり、満足したらそこで終わりです。)
(引用:https://jyuken-raishin.com/about/#about_kobudo

とある。

つまるところ、
その時、その時点に存在するのは、ただ「学ぶ姿勢のみ」で、
出来ないことに対するアプローチのみ。
だから、「やろうと意識するのではなく、ただ学び習得する」
「習得したら、次のステージで学ぶのみ」である。

ここに「モチベーション」を介在させないのが、
古武術・古武道のマインドセットであり、
古武術・古武道においては、それが、体の使い方の最適化に繋がるのだと。
そういうことらしい。

体の使い方の最適化は、一旦置いておくとしても、
古武術・古武道のマインドセットは見習いたい部分がある。
「なにかやろうとする意識を消す。やらないでやる。」
このマインドセットを持って、新しいことを学び続ける、
つまり、「学ぶ→習得する→次のレベルで学ぶ」ことに対して、
「やろうとする意識=モチベーションを消す。」
「モチベーションを消した状態で学ぶ。」
この状態を維持出来るのであれば、物事を継続することが出来るはず。

いや、継続すら、息をすることと同じように、当たり前になるはず。
そんな極致に至ったら、自分が思う、ありとあらゆることが
出来るようになりそうです。

モチベに依存する=二流以下の心構え

今週の自分の思考のまとめ。

何かを継続するにあたって、
「モチベーション」を言い訳にしている間は、
二流以下なのだろう。
かなり、辛辣な物言いのような気もするけれど…

息をするように、当たり前に、
新しいことを学び、新しいことに挑戦し、
出来たとしても、出来ることは当たり前。
こんな風に思うマインドセットを、少しずつ持てるようになるならば、
新しいことを継続することは、簡単になるはず。
ここまでのことをまとめると、人生における極致とは、
「自分の理想的な生活を更新し続ける日々」
なのだろう。

自分自身、継続することに対して、困難を覚えることは少ない方だと思っているけど、
出来たり、出来なかったりするたびに、一喜一憂していたことを思うと、
それもまた、二流以下のマインドセットなのだろう。
(いや、少しくらいは達成感を味わってもいいよね。
別に、世界的に卓越した何者かになるわけではないし。)

ひとまず、努力することも、その瞬間に最善を尽くすことも、
「息をするように、当たり前に」
このフレーズが、かなり頭の中で繰り返されたような感じがする。

こんなことを考えると、
出来ないことを棚に上げ、
日々の雑事に追われる「ふり」をして、
適度にゆるく生きていく人が得をする、そんな、
現代の日本の資本主義には、うんざりする。

いや、そんな五流以下の人を見て、嫌悪感を抱くことすら無駄か。

一流、いや、極致の思考を持って、
息をするように、自分の最善を更新し続ける日々にこそ、価値がある。

「新しいこと」を継続したいなら、まずは、
日々当たり前のようにしている習慣の前後に、
「新しいこと」を取り入れるのが、このマインドセットから、
学べるかもしれない。

「なにかやろうとする意識を消す。やらないでやる。」

無目的的に見るテレビから学べることがあるとは。
物の見方にもよるのだろう。
もしかしたら、1万回に1回くらいの奇跡が起きたのかもしれない。

今週は、「息をするように、当たり前に」
最善の努力を積み重ねられるようにしたい。
先週に考えたことの振り返りはこの辺で終わり。
このマインドセットを知れたことに感謝。
後は、活かすも殺すも自分次第。
せめて、マインドセットくらいは、「一流」でありたい。
尚、その努力が実るかは、不明。
ただ、「努力は前提として、人生は…」
いや、今週はもういいか。

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