2022 7/4~7/10 達成感を当たり前に思ってはいけない。

今週、思ったこと。
何かを達成した時の、「達成感」は、とても素晴らしい。
その「達成感」は、とても貴重で尊いもの。
そして、自分が「当たり前に出来ること」は、
他者から見ると、普通ではない。ということもある。
このような所だろうか。
自分の手の届かない所では、衝撃的な事件による訃報があったり、
目まぐるしい一週間を過ごしたように思えます。
ただ、世界ではなく、自分に焦点を当てると、
大切なものも見えてきた。そんな話を徒然なるままに書こうかと思います。

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久しく忘れていた「達成感」に満たされるという充実感

そう。世界のニュースは、一旦脇に置いておきましょう。
フィンランドの「砂で作るバッテリー」という革新的な技術とか、
それこそ、日本で起こった衝撃的な事件とか。
自分の手の届かない所にあるものは、全て触れずに置いておく。

自分語りも良くないとは思うけれど、
今週の自分の中の大きなニュースは、
「アドセンスに合格したこと。」
これが一番。

申請すること16回…
もう半ば諦めていたアドセンス…
諦めてアフィリエイト広告も貼り、記事数を絞ることもなく、
何も気にすることなく、ただひたすらに毎日記事を作っては、
更新するという作業を続けていた、そんな日々に、
ようやく光が差し込んだように思った出来事。
もちろん、pv数は大したことないので、収益なんてものは
まだまだ先のお話。何なら、自分にとっては、夢のまた夢なのだろう。
と、思っているのだけれど、それでも、
アドセンス合格の知らせには喜んだ。
努力が、というか、継続が?(なぜ合格出来たかは分からないけれど、)
一瞬でも認められた。そんな気持ちになったからだ。

やっぱり、努力が報われる瞬間というのは、どのようなものであっても、
貴重であり、尊いもので、大切にすべきものだと、そう実感した。
すごく簡単に言い換えると、
リアルライフでの実績解除は楽しい!
といった所なのだけれど、
この楽しさが当たり前になると、それはそれで良くないのだろう。とも思う。

どういうことかと言うと、達成できることが当たり前になると、
自分に対する基準が高くなってしまう。
つまり、達成するのは前提で、達成した後のクオリティを求めだしてしまう。
自分が独学で勝手に弾いているピアノもそう。
一曲を弾けるようになることが当たり前になると、
「弾けるようになること」以上に、「クオリティ」を重視してしまう。

この、「クオリティ」を求めるというのは、
実はレベルの高い要求であることを再認識しておかないと、
高い要求を他者に押し付けてしまうことにもなりかねないから、
結果的に、自分自身が生き辛さを感じてしまうかもしれない。

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自分に出来て、他者に出来ないことを見下す必要もない

これは、完全にキャパシティの問題だと思う。
自分に出来ることを、自分のものさしで他者にあてることが、
どれだけ横柄なことなのだろうか。というお話。

自分という「一個人」は、別の誰かを見て、「見下す」という態度を取ることが出来る。
これは、「自分が出来る」というものさしで、「他者を測っている状態」なのだと。
ただ、これは同時に、「他者から見下されている」ということも考えないといけない。
ここらへんは、完全にサルトルのお話。フランス哲学。

もちろん、自分も出来た人間ではないから、
多少なりとも、「見下す」ような態度を取ることもあっただろう。
ただ、最近になって思うのは、「多様性の1つで良くない?」
と言ったところ。出来ない人に「やれ!」って言ったって、無理だよ。
義務教育なりは前提として、結果として、能力のスペックが低かったなら、
開花させる能力のベクトルが違ったんだよ。
自分とは世界線が異なる人だったんだよ。そう。多様性だよ。

もし、これが、無能な人間が多くのお金を稼いで、
能力のある人が稼げない状態を生んでいるようなら、
きちんと批判すべきだとは思う。
日本における資本主義では、これが結構な頻度で横行しているから困るのだけれども…
能力の分配、というか、適材適所が合理的になされるようになると、
解消するのだろうか。
労働のオンライン化が進むことで、能力を分配、適材適所な人材配置は
可能になるのだろうか?
最近は、自分の頭の中だけでしか物事を考えていないから、
新たな思考をインプットする必要があるのだろう。

時に振り返って、思いを馳せることも大事

達成することを追い求めると、高い「クオリティ」を求めてしまう。
クオリティが何かは人それぞれだとは思うけれど、
その「クオリティ」は、達成することが前提として存在していることを
忘れてはいけない。

久しく、「達成感」なんてものを感じていないのならば、
一瞬でいい、「過去を振り返ってみよう。」
振り返った過去には、多くの「達成」が積み上げられているはず。
人は記憶を取捨選択して、残したり、留めたりすることが出来るから、
自分が達成したという記憶を、できるだけ留めておきたい。
他者からの評価は、二の次で良い。
自分自身で、「達成した。」と思えるものを、多く残しておこう。

そういった「達成感」が、いつも身近にあるならば、
きっと、他者に依存しなくても生きてはいけるはず。
もちろん、寄り添いあえる身近な人がいる方が良いし、
その方が、幸せだと思う。
ただ、24時間、365日、その人と一緒に行動するわけにもいかないのだから、
自分で自分を満たす方法を持っていたほうが良い。

全ての日々を覚えていられる訳ではないけれども、
どうせなら、良い記憶と悪い記憶の比率を、8:2くらいにはしたい。
悪い記憶も、解釈次第で変更可能だから、ちょっとくらいは許せる。

きっと、「過去に達成したもの」は、「未来を照らす道標」くらいには
なるかもしれないから、ろうそくの火くらいの薄暗い明かりかもしれないけど、
ないよりはましだから、そんな「行燈」をちょっとずつ増やしていきたい。

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今週はそんなところ。
この週は、暗いニュースのインパクトが強すぎたので、
来週は、少し明るい話題に目を向けていきたいなぁ。
と思いながら、思考の整理を終わろうかと思う。

夏も本番!みたいな暑さになってきて、大変だけれど、
気づけば夏休み、もう、1年も半分を過ぎて、
早めのラストスパートでも仕掛けてくるんじゃないか。
とも思うけれど、一日一日を大切に生きていこうと思った。

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