2023 1/16 ~ 1/22 何かに依存したくなるときほど、〇〇なのでは?

日記

今週は、ある程度心身の状態が整っていて、
ネガティブな事柄に対しても、俯瞰して分析できるような
状態だったこともあり、「依存したくなる時」の状態を
内省してみた週。

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1月も半月が過ぎ…

年を越した。

と、そう思っていたのも束の間。
気づいたら、半月が経っていて、もうそろそろで、
1月そのものが終わってしまいそうな勢いな訳だけれども、
色々なことにも挑戦しようとして、今の所は、
それなりに行動が出来ている。そんな状態。

新しいことに挑戦しようと思っていると、
自分の能力より多少、難しい事柄にも対処しないといけなくて、
脳に負荷が掛かっていることを実感する。
何より、新しいことに触れる度に、多少、
自分の出来ることの枠が広がっている感覚があって楽しい。

この、自分の能力の限界の境目が、少しずつでも広がっていることを
実感できているうちは、退屈しなくても済むし、何より、
毎日があっという間に過ぎ去っている。

将来とか、未来とか。
そんな先のことは分からない。
だからこそ、「今」という瞬間に、集中できること自体が良い。

新しいことに触れながら、自分自身の学びとする過程が、
何よりも楽しい。新しい視点だったり、自分とは異なる考え方に触れる、
そんなひと時が至福だと思える。

そうやって、充実した時間を過ごしている時に、ふと思う。
充実しているときほど、何かに依存したいと思うことが無いように思える。
1人で何かをしているときでさえ、充実感が伴っていると、
「依存したい」と思うことは少ないように思える。

「充実感が先か」
「目の前の事柄に集中することが先か」
どちらかは分からないけれど、いずれにしろ、
そのいずれかの場合の状態に身を置いていると、
依存先を探そうという行動は極端に減っていると思う。

何かに依存したくなる時程、退屈なのでは?

「退屈」を感じる。

そんな「退屈」から逃れるために、何かに依存する。
娯楽でも、何でも。

日本では、娯楽施設が多種多様で、
退屈しのぎにはもってこいの国なのだろうと思うけれど、
日本に生まれて、日本に住む日本人からすると、
「遊び」=「どこかに行く」みたいな感覚があると思う。
あるいは、遊ぶことで、自分は充実していると思い込んでいるか。
そのどちらか。心に遊びを持たせることは、余裕を持つことだろうけれど、
「遊び心」という言葉になると、遊びを楽しむニュアンスを強く感じる。

結局、「娯楽施設という遊び」というものは、現実逃避なのだろうけれど、
アクティブに行動して、娯楽施設に通い、充実感を感じる。
そんな一連の流れに対して、ある意味では、
娯楽施設に依存していると言えるのだと思う。

ギャンブル依存症という言葉は、最近ではよく聞くようになり、
一般的になりつつあるのだろう。そういった言葉があるくらいだから、
「娯楽施設依存症」なんて言葉があったって良いと思う。
「〇〇ランド依存症」なんて言ってしまったら、周りに敵しか作らなそうだけど…

兎にも角にも、「何かに依存したい」と思うことの全てが悪いわけではない。
「依存」することで救われる場合もあるとは思う。
ただ、「依存先」を探そうとするその心理状態は、
実のところ、「現実に対して退屈感を感じているのではないだろうか。」と。
そんなことに気がついた。

毎日が同じことの繰り返しで、「退屈」だ。
「退屈な日常」を埋めてくれる何かがあったら良いなぁ。
「何か充実感を与えてくれるものはないだろうか。」
ゆくゆくは、「刺激のある何かに依存したい。」
こんな感じの感情の変遷を辿っているのではないだろうか。
多少の違いはあるだろうけれど、大枠はそんなところだと思う。

「退屈」を埋めるために「周りの何か」に頼る=「依存する」
ではなく、
「退屈な今」を振り返って、「自分が没頭できる何かを探す。」
あるいは、「より良い人生にするための行動をする」
ということが、無意識で出来るようになると、きっと、
毎日が楽しいのではないだろうか。

まとめ:結局、適度が一番なのだろうか…

ここまで書いたは良いものの、
依存出来る何かがあることもまた、幸せなのだろうと思う。

依存と独立。
そのバランス感覚だったり、
中庸を取ろうとする立場も大切だけれども、
「依存出来る」ということは、「依存先を信頼している」ということだろう。

「信頼」の対象をよく考察しないといけないけれど、
自分自身が、心から信頼出来る何かがあることは、
ある意味では、とても幸せなことなのではないだろうか。

「依存し続けること」は、明らかに良くないけれど、
「信頼し続けること」は、良いことだろう。
信頼し続けていたのに、突然裏切られると、
金輪際「信頼」なんてするものか。とも思うけれど、
何なら、「信頼し続けていたのに!」は他者への期待な訳で。
「信頼」自体は、悪いものではないだろうけれどね。
「期待」に変わってしまうとね。ちょっと話は変わってくる。

とりあえず、理解し合うことができる。だったり、信頼出来る人間関係は、
そういったことからも、大切なものなのかもしれない。

結局のところ、何でも「〇〇し過ぎ」というのは、良くない。
適度に挑戦して、適度に批判的で。
適度に脳に負荷が掛かって、適度にリラックス出来る。
適度。あるいは、自分にとっての足るを知る。
退屈を感じる時ほど、自身の価値観を常に心に留めておいて、
何かに依存する前に、自分の価値観に立ち戻る。
そんなことが大事なのだろうと思った週だった。

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