2022 11/21~11/27 [ネタバレ注意]『すずめの戸締まり』が面白かったので、考察。

この週は、気が向いたので、映画『すずめの戸締まり』を見に行きました。
思いの外、面白い、かつ、良い映画だったので、
映画について、考察してみた部分を、記事に残して置こうと思います。
『すずめの戸締まり』は、まだ、1回しか見ていないですが、
機会があれば、もう1・2回見たい。そんな映画です。

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まずは、キャラクターから考察。

この映画は、かなり作りが細かいと思っています。
まずは、キャラクターの名前に注目してみましょう。

岩戸 鈴芽

鈴芽という名前
→これは、映画を見ていくと、
鈴芽が向き合わなければいけない過去の場所を指していることが分かる。
「すずめ=すずめ踊り」から、仙台、宮城を指している伏線であるだろう。

岩戸という名字
→物語の設定部分なのかもしれませんが、
岩戸から連想出来る事柄=「天の岩戸開き(あまのいわとびらき)」
であり、岩戸に閉じこもったり、出てきたりするのは、
「天照大神」であることを考えると、
鈴芽は、「1人ふさぎ込んでいる状況から、次第に外の世界に出ていく」
ということが読み取れる。

また、鈴芽は、物語の最初では、現実世界において、「ふさぎ込んでいた」が、
物語の後半では、「新たな世界に出ていく」ことからも、
この映画において、「天照大神」のような役割を持っていることが考えられる。

宗像 草太

草太という名前から
→草薙の剣を扱う、スサノオノミコトのような役割なのではないかと考えられる。
スサノオノミコトの物語にあるように、
ヤマタノオロチに見えなくもない「みみず」に立ち向かったり、
スサノオノミコトの多面的な性格(弱かったり・強かったり)を表している。

ダイジン

公式サイトでも、カタカナ表記の「ダイジン」
色々な語呂合わせが出来て面白い。
「大神」
 ↑神のように導いたり、時に絶望を与えたりもする。
「大人」
 ↑ダイジンを追うことで、大人(おとな)になることを表しているかも!
「大震」
 ↑ジンではなく、シンだけれども、
物語の核心に関わっていることを表しているかも。

など、「ダイジン」に関わる人にとって、
存在や役割が変わるキャラクター。
「ダイジン」っぽさとは、「大臣」のようにふてぶてしいのか、
神っぽいのか、大人っぽいのか。映画内のキャラクターによって、
見え方が異なっていることからも、複数の役割を持っていそう。

主要な人物は、こんなところだろうか。
次は、映画内の多少細かい描写を考えてみましょう。

細かいシーンや、描写について考察。

次に、様々な細かい描写は、ちゃんとフラグとして回収されていることを
1つずつ整理して、見てみましょう。

ダイジンによって、椅子に変えられた草太の挙動。

ある夜、ダイジンによって、椅子に変えられてしまった草太の寝相が描かれる。
「椅子が、前に転ぶ」という、何気ないワンシーン。
一見すると、無駄なシーンのように思えますが、
ここに面白い言葉遊びがあるように思えます。
「椅子が、前に転ぶ。」
イスが前に転ぶ。
五十音順で、「ス」が前に転ぶ(戻る)と、「シ」になる。
「イス」が、「イシ」になることが、
この何気ないワンシーンに隠れていると見ることが出来るのではないだろうか。

つまり、このシーンで、
このイスが「要石」になってしまうことが読み取れるのではないだろうか。
もう一度、映画内で見てみたいシーンの1つですね!

愛媛辺り?に出てくる「彼岸花」のシーン。

ある時、(愛媛に行った辺りだったと思います。)
「彼岸花」が描かれるシーンが出てきます。

「彼岸」つまり、「常闇=あの世」を表していることが分かるかと思います。

これは、ストーリー全体を通してみた時に、
ある時から、鈴芽は、婉曲的に「生死を彷徨っている」状態であることを
表しているのではないだろうか。
あるいは、「今いる世界」=「常闇」=「あの世」であることを、
ここで表しているのかもしれません。

いずれにしろ、「彼岸花」が描かれることで、
「あの世」があることを連想させられます。

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ストーリー全体の流れを見る

鈴芽に注目すると…

鈴芽=天照大神的な存在ということを書いた通り、
映画の冒頭で、鈴芽は、「扉を閉めて、自転車の鍵を開ける」のですが、
この「扉」は、言ってしまえば「表の扉」であり、
自転車は、「自らをどこかへ運ぶ足」としての役割なのですが、
冒頭のシーンでは、「表の扉」を閉め、「自転車の鍵を開け」
どこに向かっていったのかというと、
「常闇=あの世」へと彷徨っていくことを示していることが考えられる。

「扉」は、「現世とあの世の境目」としての役割であり、
「生きること」と、「死ぬこと」が、表裏一体であることを描くための
大切な要素なのだけれど、
草太と出会い、廃墟の「扉」を行ったり来たりすることで、
鈴芽自身が、「現世なのか、あの世なのか」分からない、
曖昧な世界に迷い込むことを意味しているのではないだろうか。
また、現世とあの世が曖昧な最初の頃、天照大神的な立ち位置の鈴芽は、
他人に心を開かず、ふさぎ込んでいることも分かる。

物語の最初の頃の鈴芽は、
ふさぎ込んでいる原因でもあると思うが、
「この世に生きる意味は無い」という、
ある種の「ニヒリズム的」な心情を持ち、
生きることに価値を見いだせていない、
そんな状態である。
このことは、草太から投げかける質問によって明らかになる。

草太「君は死ぬことが怖くないのか?」
鈴芽「怖くないよ」

この質問は、鈴芽に2回投げかけるが、
1回目、草太に聞かれた時の心情は、
「実際、もう死んだって構わない。
1回くらい、面白そうなことをしてみたい。
どうせすぐ死ぬんだし…」
くらいの、自分自身の「命」を軽んじるくらいの心情を読み取れる。

ただ、物語が進むにつれて、
鈴芽にとって、草太は希望と変わっていくと、
草太の祖父から、同じ質問を投げかけられた時に、
心情が変わっていることに気づく。

草太の祖父「君は死ぬことが怖くないのか?」
鈴芽「怖くないです。草太さん(希望)がいない世界で生きる方が怖い」

と、生きることに希望を見出し、
まさに、天の岩戸開きのように、岩戸から外の世界に飛び出そうとするのが、
鈴芽。といったところではないだろうか。

映画内で、何かが2回繰り返されることは、この質問と、
「扉を閉め、自転車の鍵を開ける」というシーンのみ。
2回目の「扉を閉めて、自転車の鍵を開ける」というシーンで、
鈴芽が、現世で、希望に向かって走り出していることを描いているのでしょう。

鈴芽以外のキャラクターに注目すると…

草太は、ただひたすらに「裏戸」を閉める「閉じ師」だが、
「常闇=あの世=絶望」の存在を、「ダイジン」によって思い知らされる。

「閉じ師」として、本当の意味で、「扉を閉める」には、
「絶望を知る必要がある」ということだろう。
「閉じ師」=「仏法僧」のような役割なのだとすれば、
「絶望」に打ちひしがれる人を救うためには、
汝が「絶望」を知らねばならぬ。
といった、メッセージを、「ダイジン」から投げかけられていたのだろう。

草太自身は、「ダイジン」の思惑通り、「絶望」を知り、
「恐怖」を乗り越え、現世に戻る。

「ダイジン」は、様々な言い換えが出来る通り、
「人」の縁とは、不思議なものです。ということを描いたり、
「神」の御業とは、希望であり、絶望でもあることを描いていたり、
あるいは、「大震災」が起こるかもしれないところを知らせる役割である。
「九州=熊本地震」→「愛媛(四国)=南海トラフ地震」→
「神戸=阪神淡路大震災」→「東京=首都直下型地震」→
「南三陸(宮城)=東日本大震災」

「ダイジン」によって、「愛媛」に着いた鈴芽は、
そこで、「人」の縁に恵まれて、
自分の悩みを打ち明けられる「人」に出会う。
あるいは、恋バナに花を咲かせて、ちょっと「希望」を見たり。
また、ここでの悩みが、実際に、後の出来事でフラグとして回収もされる。
(右大臣が出てくる辺り)

「ダイジン」によって、「神戸」に着いた鈴芽は、
ここでも「人」の縁に恵まれて、「子供」に出会い、
自分自身の「子供」を夢見るかは、分からないけれども、
そんな「未来」もあればいいかなぁ。なんて思い始めているだろう。

「ダイジン」によって、「東京」に着いた鈴芽は、
自分自身の「希望」となっている「草太」を深く知り、
また、そこで、「希望」となっている「草太」を失うことになる。

「ダイジン」によって、「南三陸(宮城)」に着いた鈴芽は、
自身の過去と向き合い、折り合いをつけ、また、
「生きていれば、希望は見つかるよ」というメッセージを、
幼い自分自身に投げかける。
また、自分自身も、ようやく、長い「生死の境」の世界から抜け出し、
自分自身の未来に向かって、歩き出すことになる。

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まとめ:『すずめの戸締まり』からのメッセージ

生きていれば、必ず「希望」が見つかる。

そんなありきたりな言葉になってしまうけれど、
一言でまとめるならば、それに尽きるだろう。
もちろん、「希望」を見つけるには、「絶望」を知る必要もあるし、
ときには、草太の祖父のように、「ダイジン(絶望)」に出会って、
命を落とす可能性もあるだろう。

ただ、「生きること」とは、常に「扉をくぐるように紙一重」であり、
ふとした拍子に、「死」が訪れることもある。
だからこそ、「今」という瞬間が、かけがえのないものであり、
「今」ある「人との巡り合わせ」も縁なのだから、感謝を忘れずにいよう。
といった、メッセージもあるだろう。

「今」を大切にして、「希望」が見つかったなら、
「未来」に向かって歩き出す。
そんなメッセージ。

「未来」に向かって歩き出そうとしている人にとっては、
「勇気」が湧いてくるかもしれない。

「今」、生きていることに対して「希望」を見いだせていない人にとっては、
「生きる」ことで、「希望」が訪れることを伝えているかもしれない。

もしかしたら、鈴芽(天照大神)のように、「今」ふさぎ込んでいるかもしれないし、
草太(スサノオノミコト)のように、これから、絶望が与えられたり、何かに、
立ち向かわないといけないかもしれない。

それら全てを加味した上で、
「ダイジン」の導きがあって、
自分が選んだ、どこかの「未来」に向かうことが出来るはずだ。
という力強いメッセージを受け取ることが出来るのではないでしょうか。

気が向いたから見に行った『すずめの戸締まり』が
本当に面白くて、もう一度見たい!と思った週でした。
自分の中では、『すずめの戸締まり』は、本当に当たりの映画でした。
この映画との出会いは、もしかしたら、
「ダイジン」の導きだったのかもしれませんね!

12月も近づいて、冬の訪れを感じる寒さになってきたけれども、
日々、生きていることに対して、感謝を忘れないようにしたい。

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P.S.
ワールドカップが面白くて、試合結果に一喜一憂したりしてる。
日本vs.ドイツは熱かった!日本vs.コスタリカ戦は難しかった!
そんな日本の試合から、ありとあらゆる試合まで、本当に楽しめてる。
スペインが強すぎて、グループ首位通過はスペインだと思ってる。

ワールドカップは楽しめてるけど、なんとなく心情はノクターンのよう。
どこか、心が暗い闇に落ちていくような気もする。
12月だからかな。寒いからかもしれない。
寒いから、きっと心も冷たくなっていっているのかもしれない。
暖かくして、体調を崩さないようにしよう。

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