2022 5/9~5/15 「秘密」の扱いを考える

最近のアニメでは、『SPY×FAMILY』が話題に上っているけれど、
実は「秘密」は常にそこら中にあって、日常生活は、仮初の現実と
誰にも知られたくない「秘密」を抱えて生きているのではなかろうか?
ということについて考えてみようかなぁ。と思った次第です。
今週のテーマは、そんな「秘密」の扱いについてです。

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「秘密」に対する価値観とは?

巷では、よく、「2人の間には、隠し事をしないようにしよう!」
なんていうルールを作る声も聞こえてくるのだけれど、
そんな類のセリフを聞くたびに、
「それは無理じゃない?」
なんて、心のなかで思ってしまう。

まず第一に、「お互いの間に隠し事をしないようにしよう!」
と言う人の心情や、生まれ育った環境を独断と偏見で考えてみると、
「きっと幸せな環境で育ったんだなぁ。」
と思う。周りの人を信頼できて、いざとなったら頼ることができて、
本当に信頼している人からは、裏切られたことが無いような。
正直で入れる環境に身を置くことが多かったのだろう。
隠し事をしなくて済む、もしくは、隠し事があることがストレスに
なってしまうような環境や状況だったのだろうと。そう思う。

一方、自分みたく、「そんなの無理じゃん。」と思う理由としては、
信頼していたら裏切られることが多い環境に身を置いていたのではなかろうか?
自分は信頼していたのに、相手はそこに漬け込むような、
もしくは、人生の早い段階で、墓場まで持っていくようなレベルの
トラウマなり、心の傷のようなものを抱えてしまった人もいるかもしれない。
結果的に、人を信じるより秘密を抱えて、でも、何事も無いように
取り繕うことを覚えてしまったような、
そんな環境に長く身を置いていると、「秘密は抱えるもの」
という考えになるような感じがする。

とりあえず、上記みたいなパターンは書いたけど、
意見と理由が入れ替わったパターンも考えられるから、
最低でも2パターンの意見の持ちようがありそう。

  1. 人を信じることが出来る→「隠し事はありえない」
  2. 人を信じることが出来ない→「秘密は普通のこと」
  3. 人を信じることが出来る→「秘密ありきで人だから。
    秘密はあって普通でしょ。」
  4. 人を信じることが出来ない→「あなたを信じさせて!
    だから秘密はなしじゃなきゃ嫌!」

こんなところだろうか。
3番目は、めっちゃ寛容な人。善き人。そんな感じもする。
4番目は、メンヘラさんかな?
でも、なんとなくこれらのパターンで落ち着きそう。

「秘密」が「秘密」であるために

さて、「秘密」は、どのような状況になったら、
「秘密」でなくなってしまうのだろうか?
ちょっと考えてみよう。

もし仮に、自分が、ある友達、Aさんとの約束を破って、
別の友達、Bさんと遊んだとしよう。次にAさんに会ったときに
何を言うだろうか?
A.ごまかす。B. 素直に謝る。C.嘘を付く。

さて、Aの場合は、「秘密」を、できるだけ「秘密」のままにしておく選択肢
Bの場合は、「秘密」を作らない選択肢。
Cの場合は、「秘密」を「嘘」へと変えてしまう選択肢。

日常生活は「嘘」に取り囲まれているような感じもするけれど、
そんな「嘘」というものは、かなりリスクも生じてしまう。
程度によっては、関係が崩壊しかねない。
もちろん、「良い嘘」、「幸せな嘘」なんてものもあるかもしれない。
けど、そんなお花畑みたいな状況は、今は考えない。
そう。目の前に広がるのは、ただの荒野。

「嘘」は結局、バレてしまうこともあるし、
どちらかと言うと、「嘘」をつくストレスの方が結構大きいようにも思える。
計算した「嘘」は、計算ミスやら、想定外が普通にあるし。
そう考えると、虚実をないまぜにした、適当な感じが楽しいのかもしれない。
(『HUNTER×HUNTER』で言うと、ヒソカ的なキャラか…)

ここまで書いて思うけれど、やっぱり、「秘密」があるということすら
相手に悟られないように振る舞うことが大切なのかもしれない。
文字通り、「秘密」は墓場まで持っていく覚悟を持って。
いや、そもそも、そんなことをする必要のない人生だったら…
うん。そんな幸せな人生は無いな。
きっと、誰しも1つや2つ、墓場まで持っていく秘密はあるはず。

こんな風に考えると、人間関係って、
「秘密」と「嘘」の間を揺蕩っているんじゃなかろうか?と思う。
右を向けば「秘密」があって、左を向けば「嘘」がある。
その間に飛び石のように存在する「真実」と「お互いが共有できること」
という足場を、踏み場にしながら、踏み外しながら、生きているのだろうと。

相手に「秘密」があることを悟ってしまう…

「なんとなく、相手の挙動やら、発言の雰囲気やらが、
いつもと違う。何か隠しているのかな?」

そんなことを感じた経験がある方はいるでしょうか?
もし、当てはまる人がいれば、きっとあなたは繊細さん。

気が付きたくないのに、「気がついてしまう」「気になってしまう」
そして、「気になったこと」の真実を知って、落ち込んでしまう。
日常生活なんて、そんなことの繰り返し。

これって、結構大変。何が一番大変って、
「気になったこと」の真実がいつも残酷なこと。
こんな残酷なこと知りたくなかった。ってなったり、
そもそも、気が付きたくなかった。ってなったり。
落ち着くところは、自己嫌悪。
周りの人は、「気にしなければいいじゃん」なんて言うけれど、
「気にする」より先に、「気がつく」んだからどうしようもない。

相手が、なんとなく隠し事してるなぁ。ということすら
察してしまうほどの才能を持った、繊細さんは、
繊細なセンサーが外に向いているから疲れてしまうのかもしれない。
繊細なセンサーを、少し自分に向けてみると、
「ちょっと落ち着こう。」
って思えるかもしれない。

何より、そんな『繊細』という才能を持っているならば、
自分の趣味に対して繊細になると、きっと楽しいのだろう。
時間を忘れて没頭出来るかも。

もちろん、「今に没頭したところで将来の不安は消えないし…」
みたいな意見もあると思うし、
「繊細さん」気質な人は、日常生活で気になることが多すぎて、
どう「今に集中」すればいいか分からない。なんて人もいるかもしれない。
自分も最近、「今に没頭する=フロー状態を作り出す」
ということだけでは、不十分な気もしていた。

そんな中、NHKの番組、『100分de名著』では、今月のテーマとして
「ニコマコス倫理学」
なるものを取り上げていた。

今の所、ざっくりとまとめると、「善い行い」をすること。
についてまでは、放送されたような気がする。

この「ニコマコス倫理学」と「今に没頭する」ということを
上手に組み合わせることで、それこそ、
善い時間の使い方が出来るような気がする。気がするだけかもしれない。
「将来的な善い状態」のために、「今すべきことに集中する」
これを毎日心掛ける。
結局、毎日心掛けるという所に落ち着きそうです。

まとめ

後半、話が逸れた気がするけれど、
まとめると、
「秘密」を隠すも隠さないも、
結局、繊細な人には気づかれているかもしれない。という話。
逆に、繊細な人は、「秘密」を抱えて隠し通しすことが出来てしまうから、
相談出来る人を作るが善いといったところなのでしょう。

さらに言うと、「繊細な気質」がある人の立場で考えると、
「秘密」について考え込んでしまうこともあるかもしれない。
そんな場合は、「秘密」に対する解釈を変えてみてはどうだろうか?

「人間誰しも、1つや2つ、知られたくない秘密はある」
自分にもあれば、相手にもある。すべての人に共通のこと。
このように思っておけば、ある程度のことはなんとかなりそう。
許せない「隠し事」に気づいてしまったら、
その時は、まぁ、上手く交渉するのが良いのかも。
ただ、そこまで落ち着いていられるだろうか?それだけが問題。

アニメ『SPY×FAMILY』では、隠していることは異次元だけれども、
日常生活でも、大なり小なり、皆隠し事はあるし、取り繕っている。
このことは、至って普通のことなのだろう。
取り繕っている日常生活や、自分の身の回りの人間関係のなかで、
誰かと共有できる『幸せな瞬間』が積み重なっていく人生になると
きっと、善い人生になるのだろう。
そんな瞬間を増やしたい。

話題が紆余曲折した感じがしたけれど、なんかまとまった気がするから、
今週はここまで。
取り繕う日常生活もそうだけれど、
ありのままの自然を愛でたいとも思う。
そんな一週間だった。

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