ニーチェとピアノに救われて

日記

ニーチェは、こう言う。「脱皮して生きていく」と。日々、新たな自分に生まれ変わるという感覚を持っていたのだろうと思いつつ、オートファジー的な感覚も持ち合わせていたのか。とか思いつつ、ピアノの音が鳴り響く空間は、自分の精神を高めてくれることを実感する。そんなことを綴る日記。

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ニーチェの言葉に触れる。

今年の自分の誕生日プレゼントとして、様々な本を買ったうちの一冊。『超訳ニーチェの言葉』

エッセンシャル版ということもあり、サクサク読めるのがいいところ。様々なニーチェの著作から心に響く言葉を抜粋してくれている本。

なぜこの本を読もうと思ったのかと言うと、結構理由は単純で、MBTI診断をしてみたときに、自分の性格特性と似たような特性を持つ偉人ということで出てきたのがニーチェだったから。というもの。

もしかしたらお友達さんになれるかもしれない。

と思って、ニーチェにまつわる本を読んでみようと思ったのが理由。まずは、エッセンシャル版のニーチェの言葉。次は、『ツァラトゥストラかく語りき』かなぁ。

とにかく、そんな『超訳ニーチェの言葉』を読み進めていたのだけれど、どの言葉も、自分の考えを高めてくれるような感じがして、とても良い。

はじめの一歩は、自分への尊敬から

『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』

自分自身を尊敬するということは、あまり考えたことが無かった。「誰かを尊敬する」という誰かの中に、自分を含めていなかったという方が正確かもしれない。確かに、自分自身を尊敬することを大切にすることは第一歩かもしれない。自分が尊敬できるような人間を空想しておいて、そんな「尊敬」できる部分を自分で体現しながら、自分で自分を尊敬する。

確かに。

といった、納得感から、

一日の終わりに反省しない

『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』

そんなことをしているアナタは、疲れているんだよ。

と声をかけてくれたり、

友人を求める前に、自分自身を愛する

『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』

アナタ自身が、すでに素晴らしいんだから。

といった感じの含みがあって、すごく、ニーチェからの言葉を受け取っていて落ち着くというか、安心するというか。

ニーチェの言葉を心に留めておきたくなるように思うのだけれど、というのも、自分自身、この本を読んでいて、「分かるわ〜」とか思いながら読んでいたわけで、本当に共感できるわけですよ。はい。

性格診断テストで「ニーチェと似てますよ〜」って言われたから当然なのかもしれないけれど、もう、時代を超えて、自分の考えを認めてくれたような感じがして、本当に「あぁ、ニーチェとは友達になれたかもしれない。」と思うくらいに、分かる。

まぁ、そんな読書の時間自体、最近は取れていなかったのだけれども、ありがたいことに、自分の趣味でもあるピアノにまつわるイベントがありまして、その道中とか、色々な時間に本を読んでいたわけで。

とりあえず、『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』は、何周も読んでおきたい。

ピアノの音が鳴り響く空間を心地よく思う。

まぁ、ピアノの音が鳴り響くことに嫌悪感を抱く人もいるわけなのですが、自分はやっぱり、ピアノの音に包まれる空間が好きなのだ。ということを実感したわけです。

昔は、エレクトーンを7年くらい習っていたから、電子音だったり、ポップスが主流で、音楽だなぁ。くらいには思っていたのだけれど、やっぱり、きっかけはピアノの森だなぁ。

NHKでアニメが放送されていて、それを見ていて、自分の中に流れ込んできた曲がどれも心地よくて、その中でも、特に、ショパンの『バラード4番』が本当に良い!ってなった瞬間、自分の中でピアノの音に対する好奇心だったり、心地よさみたいなものが開花したように思える。

ピアノの森の音源は、様々な音楽家の方が実際に弾いたものらしいのだけれど、その中に、反田恭平さん、(ショパン国際コンクールで世界2位になったスゴい人)もいたらしいようで。

まぁ、実際のところはよく分からないけれど、それでも、反田恭平さんのコンサートに行くくらいには、ピアノにのめり込んでいるのが今。

んで、大体、今は、5年目?くらいなわけだけれど、その過程で、実際に、『バラード4番』に挑戦したわけです。↓は、その時の記事を日記にしたもの。

そして、コレがどれくらいヤバいことなのかを実感していなかったのですが、最近、ピアノのサークルで活動するようになって、ピアノ歴が浅くて…とか、こういうのを弾いてます…とか、話すわけで、あるいは、弾くわけで、んで、周りの方々から言われて気づくわけです。ヤバいよ。と。

もちろん、良い意味で。ということが分かっているので、自分も、「あぁ、やっぱりヤバいことしてたんだなぁ。」とひたすら練習してた日々を振り返るわけなのですが、そんなピアノのサークル活動は、本当に楽しくて、最近、なんと、「スタインウェイ」という、メチャメチャ良いピアノを弾く機会があったわけです。

スタインウェイの画像

ピアノ歴が浅い人が弾けるピアノではないとは思う。ソレはそう。

けれど、弾ける機会があったので、ソレは感謝。本当に感謝。

んで、弾き心地はというと、「鍵盤が…軽い…」みたいな感覚になりました。

なんというか、軽く叩いているつもりでも音が出るというか、繊細というか、あとは、鍵盤と鍵盤の間が滑らかといった感じがした。うん。思った以上に自分の指が遠くに走ってしまう感じ。YAMAHAのピアノとは大違いで、よく、ピアノのレンタルルームとかを使ったりするんだけれど、その感覚とは全然違って、もう、全く違う楽器を演奏してるような感覚になってしまった…

そう。その時の演奏自体は、まぁ、途中で楽譜の内容が飛んでしまったり、いや、そもそも暗譜なんてしなければ良いのだろうか?いや、でも…う〜ん。まぁ、自分の中では、「終わった〜〜〜」みたいな。「ミスった〜〜〜」みたいな。「もう、いいや〜〜〜」みたいな感じで終わっていってしまった。はぁ。

とはいえ、ニーチェの言葉

この瞬間を楽しもう

『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』

とか、色々と救われた気がする。今までの自分から脱皮して、新たに、「スタインウェイ」を弾いた自分が生まれたとは思う。当然、弾く機会が多いピアノではないから、スタインウェイで上手く弾けるかは別だし、ビックリするくらい感覚は違ったし。そういえば、爪にダメージがいかなかったピアノだったなぁ。普通のグランドピアノだと、爪にダメージが入るから、文字通り身を削りながら弾いているわけだけれど。

でも、総じて、「あの瞬間は楽しめた」

そう言えるのは確か。

ニーチェはこう言う。

少しも悔いのない生き方を

『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』

「今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま繰り返しても構わないという生き方をしてみよ」と。

流石に、過去の自分の経験は、もう二度と経験したくないものも多いから、今、この瞬間からの人生に限って、そんな生き方を心の中心に据えておきたい。

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自分が高まるような空間と人間関係と。

とりあえず、そんな、自分にとっては、最高の活動があったわけで、自分の演奏が誰かの心に届いたかは分からないけれど、もう少しなんとかいい演奏を心がけたいとは思う。

実際、「もう少し真摯にピアノに向き合ってみた方が良い」なんて言われた。多分、厳しい意見かもしれないけれど、自分はそうは思わなくて、多分、曲というか、自分自身の演奏に対して、もう少し没入したほうが良いということなのだろうと思う。

自分の集中の対象を一点に絞って、「ピアノだけを弾く」という感覚を持ったほうが良い。とそんな感じなのだろうと思う。確かに、今日は、注意がいろんな方向に散って行ってしまったし、雲散霧消したって感じだったなぁ。所々のフレーズは良かったかもしれないけれど。

一曲を通して、注意を曲だけに、あるいは、曲の裏にある作曲家のストーリーに、あるいは、自分自身の感情に。それらを結びつけて演奏をしたいのは山々だけれど、ソレが出来たら苦労はしない。まぁ、コレもまた経験。

楽しんで学ぶ

『超訳ニーチェの言葉(エッセンシャル版)』

「楽しみというのは、いつも半可通の人の手にある。やり始めた趣味はいつも楽しくて仕方がないのだ」

ニーチェとは友達だったかもしれない。同時代、同時期を生きていたら友達だったね。きっと。

やっぱり、そんなふうに、忌憚なく意見を言ってくれたりする、そんな人間関係だったり、空間は大切にしたいなぁ。とそう思う。

この自分の趣味から何かが生まれるとは思わないし、趣味は趣味で良い。って思うかもしれない。とりあえず、自分が心地よいと思える空間は大切にしたい。

そんなことを実感した週だった。本当に、生きるってこういうことか。とか思った瞬間があった。楽しみとか喜びとか。そんな良い感情を改めて感じることが出来た気がする。

明日からも頑張れそうだ。とか思いながら、夜、寝る前に反省することは止めようと思うそんな日々、今日このごろでした。

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[2023 10/16 ~ 10/22:怜丁日記]

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