充実した休みを過ごすためのひと手間。

日記

[伶丁日記] 2023 5/29 ~ 6/4

休みなのに、休んだ気持ちにならなかったり、どこかリフレッシュ出来ないような休みを先週過ごしたような感じがして、リフレッシュ出来た時と、そうでないときを比べて見た時に、ある一つのこと、ほんの些細な心掛けがあるかないかで、週明けのメンタルが変わっていることに気づいたので、書き記しておこうと思うそんな日記。

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充実した休みを過ごすためのひと手間とは?

結論。「予定を立てて、それ通りに実行する。」

たったこれだけのこと。休みの日の予定を立てること。そして、それを完璧に実行することが出来ると、週明けの自分のメンタルがだいぶ良くなっていることに気づいた。少なくとも、充実した休みだったなぁ。という充足感の余韻を残しながら、月曜日を迎えることが出来る。

「休みの日の予定なんて立てたくない!」

そんな声も聞こえてくるように思えますが、「予定=何かをする」という訳ではなく、厳密には、自分のしたいことの予定を立てることと同じくらい、「何もしない時間」を休みの日の予定に組み込んでいるのです。「計画的に無計画な時間を作る。」この何もしない時間をちゃんと作れるだけで、だいぶ気分がリフレッシュ出来る。何より、自分の中で気持ちの切り替えが出来るような気持ちがする。

きっと、この「何もしない」という時間が区切りになって、気持ち新たに前に進んでいるのだろうと思う。この「何もしない」時間が無いと、時間の区切りがなくて、オンとオフの区切りだったり、流れが途切れない感覚がある。

きっと、真面目すぎる個人的な特性のせいなのかもしれないのだけれど、休みの日でも、どこかに仕事のことが残っていたりする。そんなことを考える必要無いのだけれど、ふとした拍子に顔を出す厄介者。もぐらたたきのように、思考を叩こうと思ってしまうと、余計に考えてしまうから困りもの。

「計画的に無計画な時間を過ごす。」

「何者にもとらわれない。」自分にとって「無計画な時間」というのは、極端な言葉遣いをすると、なにかの奴隷になるのではない、完全に自由であるということ。

時間に縛られるわけでもなく、人の言うことを聞くわけでもない。仕事に縛られるわけでもなければ、資本主義のシステムに縛られるわけでもない。自分にとっては、そのような完全に自由な時間を持たないと、気持ちの区切りだったり、リフレッシュが出来ないのだということに気づいた訳です。

極端なことを言うと、自然の中に溶け込んで何も考えずに、ただ、居座る。そんな時間が大切だった。っていうそれだけの話。

計画的に無計画な休みを完璧に実行すると、計画通りな一日だったなぁ。と振り返ることが出来るし、ちょっとは頑張ろうという気持ちも湧いてくる。正直、頑張ろうという気持ちは、非日常的なイベントが待ってないと、そもそも湧いてこないのだけれど、計画通りだったなぁ。と思えるだけでも、ちょっとは前向きになれる。

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充実した休みだったなぁ。と振り返るためのひと手間。

これに関しては、たった一つ。「日記を書く」これだけ。

要は、自分の思考を整理する時間を設ける。ということ。

最近は、AIで文章も書くことが出来るから、日記の重要性なんてものは無いのでは?と思うことも増えたのかもしれないけれど、日記の本質はそこではない。

先週は、AIも使って日記を書いたのだけれども、自分の思考ではない別の思考が介在することで、自分では考えてもいなかった結論になったりする。AIを使うと、たしかに時間は掛からないし楽なのだけれど、「思考を整える」という観点でものを言うと、AIを使うと、思考はまとまらない。というより、自分の思考ではない何か別の言語を操っているような感覚になる。言語はAIによって生成されるけれども、自分の感覚を伝える言葉ではないから、日記には不向き。思考がとっ散らかって、余計に疲れる感じがしたのが先週。

今書いている記事に関しては、完全に自分の言葉でひたすら書いているのだけれども、頭の中に浮かんでいる、あるいは、一週間溜まった自分の中の余計な思考だったり、忘れたくても忘れられないような感覚を吐き出すことで、多少、心だったり、頭の中がスッキリする感覚はある。

「AIによって、文章生成系の仕事は無くなる。」なんてことは言われているし、実際、AIに任せられるなら、任せたほうが良いとは思う。時間というコストを削減したほうが良い。ただ、自分の感覚だったり、自分が思っていることを正確に言語化するための能力だったり、言ってしまえば、ストレス対策としての日記を書けるくらいの言語能力は必要なのだろうと思う。

あと最近思うのは、伝える力。

話していてダルいなぁ。と思う時は、「結論が見えてこない時」と「同じ例え話が繰り返される時」自分の記憶力が良いのか分からないけれど、「それ、前も言ったよね?」と思う時は、大体、ダルい。

これは、ブログを書いているからなのか、要点を伝えることだけを繰り返したからなのかは、分からないけれど、まぁ、話がつまらないと思われるポイントは大体皆一緒だから、自分も気をつけておこうという戒め。ホント、「それ、前も言ったよね?」と言われるようになったら、自分も自重しないといけない。気をつけよう。

計画的にだらけることの大切さ。

キリスト教でも同じことを言っていたなぁ。と。書いていて思い出す。

「神は、安息日を作った。その日は、ありとあらゆる仕事の手を止め…」みたいな感じだったっけ?まぁ、安息日、つまり、休みを計画的に取り入れなさい。と。計画的に、無計画な日を作りなさい。と。大昔から、キリスト教にも取り入れられてる。

思ったことを実行に移すための時間を予め用意しておくような。
ただひたすらにボーッとする時間を用意しておくような。

そんな、だらける時間を、休みの日には取り入れないといけない。休みの前に、ちゃんと計画を立てて、計画的に休まないとリフレッシュ出来ない。そんな面倒な性格をしてるんだなぁ。と改めて思う。

だから、旅行とか苦手なんだろうなぁ。計画的に行動しないといけないから。計画的に無計画な旅行は、放浪と言うからね。きっと。休みの日は、無計画でいたいのよ。基本的に。時間の奴隷になりたくないから。時間で縛られる旅行はしたくないという…

ひとまず、休みの日を充実させるには、
①休む計画を立てること。
②日記を自分の力で書くこと。
この2点。あくまで、自分の体感だけれど大切なことだと思う。

こう考えると、ある意味、休みの日の儀式みたいなものなんだろうなぁ。儀式を済ませたら、スッキリするような感じ。習慣化された行動を取らないと、スッキリしない感覚なのかもしれない。ここらへんは、HSP的な感覚かもしれない。大きな習慣の変化を取り入れられない感覚。

まぁ、だらける時間を少しずつでも取り入れていきたい。というより、あまり根を詰めすぎないようにしたい。AIで効率よく作業できる部分もあるのだから、「暇」を作り出すことだって可能なはずだ。AIの使い方は模索しつつ、「暇」が出来たら何をするのだろうか?ということも頭の片隅に置いておいて、『暇と退屈の倫理学』をいつでも手に取れるところに置いておこう。

そんなこんなで、今週の儀式である日記を締めようと思う。
明日からも頑張るためのエネルギー?
マジでたった一つ。aikoのライブが楽しみすぎる!!!
これだけ。ライブが終わったらどうなるのだろう?
燃え尽きるのだろうか?まぁ、日々を揺蕩うくらいが丁度いいか。

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