揚げ足をとるような人には関わらないが吉。

日記

揚げ足をとってくるような人は本当に癪に障る。そんな出来事があり、週末の善き思い出と良い感じのテンションが全て吹き飛んだ週。考えが浅はかな人ほど、何もかも自分の思い通りに動かないと嫌。みたいな変なプライドがあって、無駄だなぁ。と。

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自分に何も無いと思う人ほど…

自分に何も無いと自覚している人ほど、他の人が持っているものに対して妬んだり、嫉妬したりして、挙句の果てには、そんな人を攻撃し始めるような感じなのも鬱陶しい。

自分の振る舞いに関しては自分がよく分かっているし、常々、自分がすべきことやら改善点やらは目につくから、疲れているときほど、自分を攻撃しがちになるし、そんなことをして結局自分自身のメンタルが落ちてしまうのも経験しているのに、(まぁ、他人に分かってもらおうとか思うつもりは無いから別にいいんだけど)それをわざわざ、懇切丁寧に、揚げ足を取るかのように、指摘してマウントを取ってくるような言い方をされると、無性に腹が立つ。

何も持っていない人は、というか、何も変化をもたらすことが出来ないひとは、基本、他力本願。他人が自分の都合の良いように動いてほしいなぁ。みたいな。

マジで、いい加減にしろ!!!とか思うから、思い通りに動くふりだけして、利益だけかっさらうように振る舞おうと心を入れ替えた自分もいる。

まぁ、兎にも角にも、他力本願で、自分自身の改善をしようとしない人ほど、自分より優れたと思った人を蹴落とそうとするものなのだなぁ。と。そうすることのデメリットを考慮してないし。まぁ、何も出来ないというか、自分で自分を変えることが出来ない人の末路を見た感じがして、あぁ、くだらないなぁ。とは思った。

ちょっと頭を働かせて、自分で少し試行錯誤するだけで、色々と変えることが出来るはずなのに、そういうことをしない。いや、大人になることで失われる部分かもしれない。子どもの学習が早いのではなく、大人になるにつれて、早く学習するコツを、子供の頃に出来ていたことを失ってしまうのかもしれない。

子どもの頃にあって、大人になると失うもの。それはきっと、好奇心からくる試行錯誤の連続なのだろうと思う。

子どもは、体験という実体験から色々なことを学び取るけれど、大人になるに連れて、経験というものが邪魔をし始めて、自分の頭で考えて試行錯誤するという時間を削ってしまっていると思う。タイパを重視し過ぎた結果、学びが遅くなる可能性があるという矛盾。

まぁ、大人になっても、新しいことを学ぼうとする意志があって、行動している人はきっと少ないだろうから、新しいことを実際に学んでいるだけで立派だし、素晴らしいことだと思う。

何が言いたいかと言うと、自ら学ぼうとしないで、他人のことをとやかく言っている人の言うことに説得力なんて全くないから、正直黙っていてくれないかな?っていうこと。そんなアナタの価値基準で自分の能力が測られるのも嫌だわ!!!って感じのことがあったから、ストレス過多に陥ったって話。

ソレが上の立場に立つ人の発言ですか〜?って。そう思う。ほんと、鬱陶しい。

個人的には、「ニーチェと友達になれそう!」とか思っていて、ニーチェの「より高みを目指せ!」的な思考に触れると前向きになれる性格だから、その時点でだいぶ特殊な性格しているのかもしれないけれど、気づくと孤独になっているタイプよねこれ。

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変化を取り入れない人の思考は相容れない。

「安定思考が人と組織を腐らせる」

「超訳ニーチェの言葉」(エッセンシャル版)

まぁ、こんな言葉もあるくらいだから、変化を嫌う人たちの集いほど不毛なものは無い。

変えたほうが良いですよ〜。とか、こんなことを取り入れることが出来ますよ〜。とか言うことに対して、ソレはちょっと問題だよね。とか言う人の思考が全く理解できない。

日本の社会構造的にも、企業構造的にも、こういった感じで変化を促したり、新しいことを利用して何かを生み出すことが出来る人に対して厳しすぎる。

というか、やっぱり日本という国の文化的、あるいは、思考体型の根本には、安定志向とか、リスク回避的な思考が存在しているのだと思う。気づかないうちに、刷り込まれているバイアスに近いようなものがあるのだろう。

実際、「恒常性バイアス」という言葉もあって、そもそも、人は変化を受け入れにくい動物だから、変化を求めて行動するタイプの人にとっては、どんな環境であれ、生きにくい世の中であることには変わりないのかもしれない。

とあるニュース番組の特集で、元サッカー日本代表の本田圭佑さんも、似たようなことを言っていて、彼も、「なんで変えたほうがいいというアドバイスがあったときに変えないんだろう?」ということを言っていた。「4vs4」というサッカーの大会を創設した特集だったかな。

この考え方に関しては、その通りだと思う。本田圭佑さんの人となりだったり、どんな人なのかということを知っているわけではないから、多くの先入観でものを語るべきでは無いけれど、彼が発する言葉の節々には、共感できる部分が多いように思える。

コレってきっと、変化を取り入れた時の想定が全く出来ていないんだと思う。思考力というか、その人の持っている能力のキャパシティで計算できる想定の幅が、変化を取り入れたほうがいいと意見を出している人のキャパシティの1/10とか、1/100くらいの想定しか出来ていないのだろう。結果的に意味の分からない論理をまくしたてる始末。

面白いのは、確か、ルンバが出たばかりの時の批判だったか、「ルンバが掃除中に蝋燭を倒したらどうするの?」とか言う批判があったらしいけれど、(どこで聞いたか全く覚えてないけれど…)マジで意味が分からん論理よね。

そもそも、掃除するときに蝋燭に火を付けないし。アナタは火を付けて掃除をしていたのですか?って。マジで、何かの儀式の最中にルンバでも使うんですか〜?って。ここまでくると、変化が嫌を通り越して、自分の世界を壊したくないって感じが伝わってくる。

(AIによって、こんな世界観が全部ぶち壊れてしまえばいいのに。)

そんな、感情を持った計算機こと、人間は、AIには無い、愚痴をこぼすということをしないとメンタルが保てない訳で。心のキャパオーバーにならないように気をつけないと。

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結局、ニーチェを友達だと思ってるのかもしれない

なんとかメンタルを保てているのは、ニーチェの言葉があったから。そんなふうに思う。

夜、無駄に反省し始めたときとかは、「あぁ、疲れているんだ」と、思うようになったし、その御蔭で、なんとかメンタルが壊れる手前で修復出来ているように思える。

乾燥なのか、ストレスなのか分からないけれど、唇が割れる季節になってきたので、色々とちゃんとケアしておかないといけない。

このあたりは、本当に落合陽一さんの言葉通りかもしれない。彼曰く、「下手なビジネス本とか自己啓発書なんかより、哲学者の書籍を一冊ちゃんと読んだほうが良い」というアドバイスがその通りだと思う。

今のところ、やはり大学教授、このアドバイスは的を射ている。そこから派生して、AIにまつわる彼の発信を見すぎたのか、老化する計算機なんて、計算機自然が織り成す自然に取り込まれてしまうのだろうとか思う始末。影響受けすぎw。

言語的な能力の獲得に関しては、もはや、AIと人間の違いは、ほとんど無いと思っているから、余計に突き進み過ぎたかもしれない。

AIと人間。宇宙際タイヒミュラー理論(IUT理論)ではないけれど、(実際、この理論を理解出来ている訳ではないけれど、)宇宙際タイヒミュラー理論における我々が持つ物理法則と、ある規則に基づいて新たに作り直した全く別の物理法則が成り立つ世界は一致する。みたいな考え方は、結構面白くて、人間の持つ物理法則とAIの持つ物理法則は全く異なっていて、(人間は視覚があって映像をデータ化しているけれど、AIはそれらを全て既存の画像データに依存していて…とか)生成系AIことLLMのAIと人間のもつ物理法則はそれぞれ異なるけれども、言語という法則に基づいてそれらはそれぞれ結びついているみたいな世界観が成り立っていきそうな予感がある。

宇宙際タイヒミュラー理論が数学会においても、まだ、理解されていないことを考えると、言語を操る人間界に置き換えると、宇宙際タイヒミュラー理論(IUT理論)のように、AIと人間の異なる物理法則が全く同時並行で動いていて、かつ、それらの世界観は「言語」という法則で一致するなんていう価値観は、当然、まだ、理解されることも無くて。

この「言語」という物理法則を如何用に扱うのかということが、人間がAIの物理法則に触れるための唯一の方法なのだが、どうやら、自然言語プログラミングすら怪しい人が多いよう。

人に指示することが出来ない、あるいは、自分の考え、自分が成し遂げたいことを言語化する能力の欠如が、ここにきて明瞭になっただけかもしれない。その点、「言語」を操るAIに「怖れ」を抱いていることも考えられる。

自分の作りたいものを「言語化する」という能力を正しく身に付けないと、自然言語プログラミングが出来ない。まぁ、AIが隣に存在するようになったら、きっとそんな能力も再獲得されるのだろう。コレもまたデジタルネイチャー。

結構、宇宙際タイヒミュラー理論(IUT理論)と、現在のAI界隈と人間の関わりなんていうのは、価値観としては似ていると思うのだけれど…。AIと人間、全く異なる計算過程を経て、「言語」という共通言語を用いて、計算結果を一致させているのだから。

まぁ、この解釈が取り上げられることも無いのだろうし。一見無意味なものだけれど、個人的な日記として、こんなことを思っていたのだなぁ。と記録しておくことには、無駄は無いだろう。

いずれ衰える計算機である自分の思考を、ちゃんと、計算出来ていたのだという記録を留めておくのは、きっと儚く美しいと思える行為だと思う。

何の話〜???

とりあえず、書き留める作業は、自分の思考が整理出来て良い。(どこが整理されているのだろうね。笑)今日も頑張った自分は偉い!!!

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[2023 10/23 ~ 10/29: 怜丁日記]

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